「宇宙戦艦ヤマト」関連裁判の歴史

最終更新日: 2010/11/09

「宇宙戦艦ヤマト」にまつわる裁判やその前後の出来事を時系列順にまとめてみました。

あらためていうまでもないことですけど、ある出来事がここに載ってないからといって、そういう出来事がなかったとは限りません。

「商標権裁判」「覚醒剤事件」といった裁判や事件の呼称は、このWebサイトで便宜上勝手につけたものです。 例えば「平成11(ワ)18820等 商標権 民事訴訟事件」では何がなんだかわかりませんから。。。
# あまり不適切な呼称はつけてないつもりですけどね

■ 1973年(昭和48年) ■

春頃
西崎義展氏からの依頼に応じて、藤川桂介氏が「宇宙戦艦コスモ(仮題)」、豊田有恒氏が「アステロイド6」という原案をそれぞれ提出した。
7〜8月頃
西崎氏らが「宇宙戦艦ヤマト」の初期企画書を作った。

■ 1974年(昭和49年) ■

4月頃
松本零士氏が「宇宙戦艦ヤマト」TVシリーズの企画に参加した。
6月頃
「宇宙戦艦ヤマト」TVシリーズの実際の制作が始まった。
10月6日〜1975年3月30日
「宇宙戦艦ヤマト」TVシリーズ(全26話)が読売テレビ系で放映された。

■ 1977年(昭和52年) ■

8月6日〜1975年3月30日
「宇宙戦艦ヤマト」劇場版が上映された。
8月17日
劇場版にかんして、西崎・松本両氏が設定デザインの二次使用契約を結んだ。西崎氏は松本氏に「構成料・デザイン料等」として1000万円を支払った。

■ 1978年(昭和53年) ■

8月5日
「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」が上映された。
10月14日〜1979年4月7日
「宇宙戦艦ヤマト2」TVシリーズ(全26話)が読売テレビ系で放映された。

■ 1979年(昭和54年) ■

7月31日
「宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち」がフジテレビ系で放映された。

■ 1980年(昭和55年) ■

8月2日
「ヤマトよ永遠に」が上映された。
10月11日〜1981年4月4日
「宇宙戦艦ヤマトIII」TVシリーズ(全25話)が読売テレビ系で放映された。

■ 1983年(昭和58年) ■

3月19日
「宇宙戦艦ヤマト・完結編」が上映された。

■ 1994年(平成6年) ■

2月21日
「宇宙戦艦ヤマト胎動篇 ヤマトわが心の不滅の艦」VHS・LDがバンダイビジュアルから発売された。
11月17日
「YAMATO2520」Vol.0「銀河100年戦争」VHSがバンダイビジュアルから発売された。
12月17日
「YAMATO2520」Vol.0「銀河100年戦争」LDがバンダイビジュアルから発売された。

■ 1995年(平成7年) ■

時期不明
この頃から、西崎氏は「復活篇」制作などの資金に困窮し、バンダイに「ヤマト」著作権を信託する代わり資金を調達する交渉を行った。
2月21日
「YAMATO2520」Vol.1「明日への希望」VHSがバンダイビジュアルから発売された。
3月25日
「YAMATO2520」Vol.1「明日への希望」LDがバンダイビジュアルから発売された。
12月18日
「YAMATO2520」Vol.2「YAMATO発進!!」VHS・LDがバンダイビジュアルから発売された。

■ 1996年(平成8年) ■

1月頃
信託の話が進まず、バンダイの提案により、西崎氏はバンダイビジュアルとの間に著作権を担保とする三億円の金銭消費賃貸契約を締結した。
6月
西崎氏とディズニーは「ヤマト」実写版について仮契約を締結した。
8月頃
月刊「ビッグゴールド」平成8年9月号から、松本氏が「銀河鉄道999」の続編(通称“エターナル編”)の連載を開始した(この作品には後に、ヤマトやそのプロトタイプとされる戦艦が登場した)
8月25日
「YAMATO2520」Vol.3「戦闘」VHS・LDがバンダイビジュアルから発売された。
9月頃
西崎氏と東北新社が著作権譲渡にかんする交渉を開始した。
11月25日
西崎氏からP3(西崎氏の長男?※1)への著作権譲渡登録を申請した(※2)後日の西崎氏いわく「預けただけ」
12月20日
西崎氏と東北新社は著作権譲渡契約を締結した(バンダイビジュアルへの返済に充てる予定だったらしい)

※1 P3というのはパチンコ裁判の第一審判決に出てくる人物(?)です。 翌年に商標権がいったん西崎氏の長男に移転されてますから、こっちのP3もたぶんその長男と同一人物だろうと思うんだけど、確実なことは不明です。

※2 パチンコ裁判第一審の判決文には

「本件P3経由著作物の著作権については,平成8年11月25日平成付けで,P2からP3への譲渡登録がされていることが判明した」

とある一方で

「本件映画の著作権登録原簿には,本件映画の著作権が,平成9年7月4日に,P2からP3(以下「P3」という。)へ,同年11月19日に,P3から原告に譲渡された旨の記載がある」

ともあります(P2とは西崎氏のことです)
西崎氏からP3への著作権の譲渡が2回繰り返されるのはおかしいですから、たぶん平成8年のほうは登録の申請、平成9年のほうは登録の完了ということでしょう。 このページの記述はこの推測にもとづいています。

■ 1997年(平成9年) ■

1月22日〜3月19日
西崎氏から長男への商標権移転登録が申請された。
2月頃
西崎氏はバンダイビジュアルに対して金銭消費賃貸契約を無効とする訴えを起こした。バンダイビジュアルも反訴した(BV契約裁判、決着不明)
2月27日
西崎氏個人およびウェスト・ケープ・コーポレーション(WCC)に対して債権者の三井ファイナンスサービスが破産を申し立てた。
3月10日〜5月26日
西崎氏から長男への商標権移転登録がなされた。
3月26日
西崎氏およびP3が著作権譲渡証書を作成し、これにもとづいて東北新社は文化庁に著作権譲渡登録を申請した。
7月4日
西崎氏からP3へ著作権譲渡登録がなされた。
9月16日
西崎氏個人およびWCCが破産宣告され、破産管財人が選任された。WCCの負債は48億円と報じられた
11月19日
東北新社への著作権譲渡登録がなされた。
12月1日
西崎氏が覚醒剤取締法違反で逮捕された(覚醒剤事件

■ 1998年(平成10年) ■

2月6日
西崎氏が保釈された(しかし3月頃からまた覚醒剤を使うように)
3月7日
松本氏原作「銀河鉄道999」の劇場映画3作目となる「銀河鉄道999 エターナル・ファンタジー」が「長靴をはいた猫」との併映で公開された。この映画の終盤には一瞬だけヤマトが登場する(この映画の続編が翌年公開される予定だったが、結局その計画は消滅)
5月
破産管財人は西崎氏から長男への商標権移転を否認し、また東北新社への著作権譲渡契約の履行を選択した。それぞれ裁判沙汰に(前者が商標権裁判
6月1日
覚醒剤事件で、西崎氏に2年8ヶ月の実刑判決が下った(西崎氏は控訴)

■ 1999年(平成11年) ■

1月21日
覚醒剤事件で、西崎氏の控訴が棄却された(西崎氏は最高裁に上告)
1月25日
松本氏と東北新社は「宇宙戦艦ヤマト等に関する合意書」を作成し、合意を結んだ。
2月1日
西崎氏が銃砲刀剣類等取締法違反・覚醒剤取締法違反で逮捕された(銃刀法事件
2月4日
バンダイがPS用ゲームソフト「宇宙戦艦ヤマト 遥かなる星イスカンダル」を発売した。
3月頃
西崎氏が山本暎一氏に宛てて公開を前提とした手記を書いた。
4月頃
「財界展望」平成11年5月号にジャーナリストの小池正春氏による記事「『宇宙戦艦ヤマト』の著作権は誰のものか」)が掲載された。この中には西崎氏の手記が含まれていた。
6月頃
西崎氏は東北新社に対して著作者人格権を主張し、PSソフトの製造などの差し止めと損害賠償の支払いを求めた。
7月23日
株式会社レイジマツモト・アソシエイツ(後のベンチャーソフト、アニメーションソフト)が設立された。
8月3日
西崎氏はバンダイ・バンダイビジュアル・東北新社の3社を著作者人格権侵害で訴えた(PSソフト裁判
8月23日
レイジマツモト・アソシエイツが松本氏と「新宇宙戦艦ヤマト」著作物の使用に関する基本契約及び映像化に関する個別契約を締結した。
9月17日
松本氏が西崎氏を著作者人格権侵害および名誉毀損で訴え、対する西崎氏は翌年に著作者人格権の確認を求めて反訴した(著作者裁判
11月頃
「正論」平成11年12月号にノンフィクション作家・評論家の石川好氏による記事「いま再び飛び立つ『宇宙戦艦ヤマト』」が掲載された。この中には「新宇宙戦艦ヤマト」の構想が記述されていた。なお、石川氏は当時、アニメ「新宇宙戦艦ヤマト」の総司令官という立場にあった(後に離脱したらしい)
11月26日
破産管財人と東北新社は裁判上の和解をした。この和解では、著作権譲渡契約に商標権が含まれることを確認し、西崎氏長男との商標権裁判は東北新社が継承した。
12月14日
レイジマツモト・アソシエイツが株式会社ベンチャーソフトに商号を変更した。

文字化けする場合は、Webブラウザでエンコード(文字エンコーディング)としてシフトJISを指定してみてください。

■ 2000年(平成12年) ■

3月頃
創刊された月刊誌「コミックGOTTA」平成12年4月号から、松本氏が「新宇宙戦艦ヤマト」の連載を開始した。
5月2日
バンダイがPS用ゲームソフト「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」を発売した。
6月19日
産経新聞にSF作家・豊田有恒氏の記事「『宇宙戦艦ヤマト』の著作権」)が掲載された。なお、豊田氏は「ヤマト」の企画段階から参加していたスタッフであり、「ヤマト」の物語の骨格を作るのに貢献し、また監修をつとめた。
6月頃
高千穂遙氏が自分のWebサイトに記事「ASCII番外地 Vol.6 ヤマト騒動。」を掲載した。
9月8日
バンダイがPS用ゲームソフト「宇宙戦艦ヤマト 英雄の軌跡」を発売した。
9月28日
東北新社と西崎氏長男の商標権裁判で、第一審判決が下った。東北新社の勝訴。
10月25日
銃刀法事件で、西崎氏に5年6ヶ月の実刑判決が下った(西崎氏は控訴)

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■ 2001年(平成13年) ■

5月14日
株式会社エナジオが設立された。
6月頃
「コミックGOTTA」休刊にともない、松本氏の「新宇宙戦艦ヤマト」の連載も一時中断した。
7月2日
西崎氏と東北新社のPSソフト裁判で、第一審判決が下った。東北新社の勝訴(西崎氏は控訴)
9月18日
銃刀法事件で、西崎氏の控訴が棄却された(西崎氏は最高裁に上告)
10月5日頃
連載が中断していた松本氏の「新宇宙戦艦ヤマト」の続きがWebに掲載された(これ一回きりで再び中断し、現在に至る)
11月28日
江守商事株式会社とベンチャーソフトが「新宇宙戦艦ヤマト」DVD制作・販売などを担う株式会社ヴィームを設立した。

■ 2002年(平成14年) ■

1月25日
松本氏の「新宇宙戦艦ヤマト」を原作とするTVシリーズの制作が発表された(
3月25日
西崎・松本両氏の著作者裁判で、第一審判決が下った。西崎氏の勝訴(松本氏は控訴)
3月29日
著作者裁判の第一審判決に対して、ベンチャーソフトは自社の見解を示すニュースリリースを出した(
4月頃
西崎氏が松本氏の「新宇宙戦艦ヤマト」に対して製作差し止めを請求する意志のあることを表明した。
7月15日
ベンチャーソフトが製作を進めているという、松本氏原作の「大銀河シリーズ 大ヤマト編」についてのニュースリリースを出した。これは「新宇宙戦艦ヤマト」を原作としないオリジナル作品である、など。
7月20日
ベンチャーソフトが「大銀河シリーズ」にかんするFAQを出した。「新宇宙戦艦ヤマト」のアニメ作品は製作していない、など。
11月29日
ヴィームが「大銀河」公式サイトをオープンした(このWebサイトは後に「大ヤマト零号」公式サイトとしてリニューアルされた)
12月頃
三共が「大ヤマト」パチンコの販売を開始した。

ベンチャーソフトは後日プレスリリースを書き換えたため、「新宇宙戦艦ヤマト」についての当時の記述が現在では「大ヤマト」に改変されたり削られたりしています。 当時の表記はInternet Archiveで確認できます。

1月25日分
「新 宇宙戦艦ヤマト」TVシリーズ発進!制作クルー集合!
3月29日分
松本零士氏と西崎義展氏との「宇宙戦艦ヤマト」に関する裁判について

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■ 2003年(平成15年) ■

2月20日
銃刀法事件で、西崎氏の上告が棄却され、5年6ヶ月の実刑判決が確定した。
3月頃
カード・システムはPS2用「大ヤマト」パチンコゲームの販売を開始した。
7月29日
西崎・松本両氏の著作者裁判で、裁判外の和解が成立した。
8月6日
著作者裁判の和解に対して、東北新社は見解を示し自社の権利を主張するニュースリリースを出した。
10月頃
ビスティが「大ヤマト」パチスロの販売を開始した。

■ 2004年(平成16年) ■

時期不明
東北新社がパチンコメーカーらを著作権侵害などで訴えた(パチンコ裁判
2月25日
「大銀河」公式サイトが「大ヤマト零号」公式サイトとしてリニューアルされた。松本氏原作の「大ヤマト零号」がDVDシリーズとして公式サイト限定で発売されることが発表された。
3月31日
「大ヤマト零号」DVD Vol.1が公式サイト限定で発売された。
5月10日
「大ヤマト零号」DVD Vol.2が公式サイト限定で発売された。
5月28日
西崎氏と東北新社のPSソフト裁判で、和解が成立した。
6月25日
「大ヤマト零号」DVD Vol.3が公式サイト限定で発売された。
7月20日
朝日新聞)および夕刊フジに「復活篇」についての記事が掲載された。
7月24日
夕刊フジに「復活篇」の先行きを疑問視する記事が掲載された。エナジオと東北新社はまだ交渉中、松本氏は「復活篇」のことを聞いていない、など。
7月26日
(おそらく夕刊フジの記事に対する反論として)エナジオがニュースリリースの中で西崎・松本両氏の和解内容を公開した。
10月6日
バンダイがPS2用ゲームソフト「宇宙戦艦ヤマト イスカンダルへの追憶」を発売した(この日は「ヤマト」第1話放映のちょうど30周年
10月12日
ヴィームの解散が決定した。
11月26日
ヴィームの解散に伴い、「大ヤマト零号」公式サイトでの販売などの業務が江守商事に移管された。

文字化けする場合は、Webブラウザでエンコード(文字エンコーディング)としてEUCを指定してみてください。

■ 2005年(平成17年) ■

1月27日
バンダイPS2用ゲームソフト「宇宙戦艦ヤマト 暗黒星団帝国の逆襲」を発売した。
4月7日
バンダイがPS2用ゲームソフト「宇宙戦艦ヤマト 二重銀河の崩壊」を発売した。
12月1日
ベンチャーソフトがアニメーションソフトに商号を変更した。

■ 2006年(平成18年) ■

6月19日
アニメーションソフト(旧ベンチャーソフト)は解散した(12月時点で清算中とのこと)
12月27日
東北新社とパチンコメーカーらとのパチンコ裁判で、第一審判決が下った。パチンコメーカーらの勝訴(東北新社は控訴)

■ 2007年(平成19年) ■

1月27日
バンダイが宇宙戦艦ヤマトの1/350スケールプラモデルを発売した。税込みで47,250円。

■ 2008年(平成20年) ■

12月15日
東北新社とパチンコメーカーらとのパチンコ裁判で、和解が成立。一部の業者が東北新社に2億5千万円を支払う。その他の詳細は不明。

■ 2009年(平成21年) ■

12月12日
「宇宙戦艦ヤマト復活篇」劇場公開。

■ 2010年(平成22年) ■

11月7日
西崎氏が死去。
12月1日
実写版「SPACE BATTLESHIP ヤマト」劇場公開予定。

西崎氏の死亡原因は事故死と見られています。 詳しい状況は警察が調べているとのことです。

故人のご冥福をお祈りするとともに、紛争の歴史がこれ以上は続かないことを心から望みます。

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